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脳内くるくる劇場~単音のIDを割り算的に

2009年03月24日 01:32

最近くるくるくる考えちゃうトピックがあります。
なんか脳内での理解と身体での実際の実感と理屈と
なんか繋がりそうなのだけれど…うーん長年似たトピでうむむむしてる気がする。。
理屈でかくとホント理屈っぽいのですが、感覚のスイッチ一つで全てがぴぴぴぴぴっっと繋がったりするようなことで、でも、色々な先生の言葉や本、別の職種の人の話を聞くと、なんか感覚と同時にもうひとつ確かなとこで何かが見えそうな感じもして、ウニウニです。

うまく言えないので、久々うんちく劇場~(・ω・)
頭にあるキーワードを羅列してとりあえず尽き果てるまで書いてみます。



物事を捉えるとき、「割り算的」な感じ方と「足し算的」な感じ方をするときとでは、脳の回路や気の巡る向き(?)、五感の感じ方って、変わってたり変化を起こしていたりするのだろうか。そしてそれは、意識や何かで、スイッチを自在にコントロール出来るものなのだろうか。というのは、圧倒的に、割り算頭(耳?)の時の方が、弾いていて苦しくない気がしたのじゃ(耳が迷子にならない…のような感じ。)。最近のきっかけは、歌の伴奏をしたときと、アンサンブルレッスン時。「あ、ピアノも、音程って自分で作るんだーっ」て耳が急に実感して。音程、って面白い。普段平均率のピアノを弾いていると実感薄いのだけれど、他の楽器は皆さん相手の音に対して自分の音程をとる感覚もっていて当たり前で、ピアノ感覚だと、ほっとくとすぐただの「鍵盤ボタンPUSH♪」になってしまう(汗)。音程意識しなくても、はずさなければちゃんとその音が鳴ってしまう(平均率ではあるが)ので怖い。。。。さてアンサンブルが分かり易いのは、必ず2人以上と音を奏でるので、相手に対しての自分の立ち位置や役割、影響を与える&受けることの感覚を理解しやすい。自分が相手を包括する、逆に包括される、の感覚たち。これら感覚を1人演奏時に持ち帰る。楽譜をよく見れば「1人でアンサンブル」が出来るのがピアノという楽器で演奏する曲の大きな特徴で。しかし、役割がたくさんあるのは理解できても、関係性で捉えないと、いっこいっこが大量にあるという感じで、自分をどこに置いたら良いのかで耳がすぐ迷子になってしまう…(;´・ω・`)。リズムはワリカし理解しやすかった。拍子が「1」「2」「3」という点ではなく、むしろ、その間をどんな円や曲線で描いているかこそ拍子であり、さらに、そこにどう切り込んでいくか、またはどう抽出されたのか、あたりがリズムなのかなと。こういった、リズムに対しての絶対的支配元の拍子感があるように、メロディー、もっと分解すると「音」いちおんの「単音」を、どうしてあげたら、どう感じたら一番その音が「生きる」んじゃろかと。なんとなく、縦横斜め軸に関係性を感じたとたん音のIDがハッキリすると同時に、それまで単体でIDを形成しようとしていた音の中に無駄に詰め込んでいた奏者の自我とでもいうような自我境界線が、消える感じがする。(…ATフィールド?(´∀`;●)。縦を和声、横をメロディーライン・リズム、すると斜めは、前者2つが機能和声や拍子感に支配されていることを知るという感じなんだろうか、感覚的には。


たとえば、「リンゴ」って分かっていてから「a」というアルファベットを見れば、[アップル]を形成する文字「apple」の中の「a」とすぐ分かる。

たとえば、「CM7」って分かっていてから「ミ」という音符を見れば、[ドミソシの響き]を形成する「C/E/G/B」の中の「3度の音」とすぐ分かる。


上を「割り算的」な考え方、と仮定すると、

逆方向から一個一個積み重ねるのが「かけ算的」な考え方、
積み重ねず順に追って行くだけだと、「足し算的」?
下手すると、足し算にもならず、最後まで「a」「ミ」のような最小単位の連続で終わってしまう場合もある。


結局、音も文字ももしやヒトも、他との関係性の中でアイデンティティが明確化されてゆき、それは同じ「次元」同士との関係性を越えた時にさらに立体が産まれるという点では、とっても似てるのかもなのかもかなぁ。

「ミ」単体の音のIDを考える時、「CM7」を越えたもっと先もたくさんある。
「拍子との関係性」と「拍子に支配されたリズムとの関係性」、「和声との関係性」そして「その和声の機能和声が形成するフレーズの拍子との関係性」、「そのフレーズのメロディー全体と機能和声と拍子の関係性」etc.…が見えた頃、そっち方向から割り算していってやっと、前の音、と、後ろの音、との関係性の意味が見えてきて、その機能和声と拍子に対して仕掛けていくような埋めて行くようなハモらせるような感じになる、その中でその一音はあくまでそれらを形成している一音…てことなのかな。(と同時に機能和声や拍子サイドに耳を置くと、メロディに対して「当てて」行ったり溶かしていったり、を、今度は「対空気」とか「対周波数??」とかでする、と波が産まれる感じがして、というかすでにある波を捕まえちゃえば乗っかれる。こんときメロディーに対してばっかり対応しているといつのまにイビツになる危険性がなぜかある)。たいてい、その単音の周辺近くの縦横どちらかの関係性のみの把握になっちゃって、さっきのナガ長い背景が無いと、たとえば、「ミ→ソ」というメロディーの動きがただの「短3度の関係」とか「上に音が上がった」とか、変にリズムに影響受けすぎてただの音程のないリズムみたいになっちゃったり、それは、アップルのappleの一部を切り取って、
「えーぴー」と言ってもだれにも伝わらないような、そんな「ミ→ソ」になってしまう。

あれ?一回足し算なのか?あれ、割るもの、は、決まっているのか?
あれれれれ、ぐるぐるすると、結局割るも足すもなく、
どかんっ。と丸ごとの音楽に触れる感覚なんじゃろう…






みゅーーーーー!!段々脳が煙を吹いてきました!(・ω・)

いやはやしかし、
アンサンブル時の「耳が開いた時の状態」(開耳)は脳科学的にどうなってるのか。
あの「センター」(ゾーン?ふろー?)に入るにはスイッチがあるのか。

うーん。GOD ONLY KNOWSなのかなぁ。。


そういや、海外の住所の書き方と、日本の書き方は逆。。
うにうにうにうに。


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