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算数

2009年06月18日 20:42

今夕ご飯を食べていると、TVで算数を学んでいる子供たちの映像が。学力低下とか、考える力とか、色々言われていますが、学力、というか、相対的に物事を捉える能力が落ちて来ているのかなぁどうなんだろうとなんとなく眺めながらご飯をもぐもぐ。。


母「そうなのよね、、今の中学生、、分数が分からない子もいるのよ」


おおぉ!?

母は公立中学の音楽教師なのですが、「4分の4拍子」「8分の6拍子」など、分母が変わった時に一拍の単位が変わる、、という意味が伝わらないらしく、まるで算数を教えているようで大変~…とのこと。もちろん、ワカル子にとっては、理屈を説明すると脳内で「なるほど!」と理解し、他の拍子にも考え方をすぐ応用出来るみたいなのだが。。


(追記!ちなみに、音楽上の拍子表示は、実際の分数とはまた少し考え方が違います!詳細はここでは省略しますが…。なので、約分しないように!笑)


さっきたまたま地元の親友(数学の道に進んだ)からタイムリーに電話があり、自分の小学校時代を思い出したのですが、私も「分数」と「比の計算」で挫折しかけた子でした。そもそも、「1」は「1」でしかなかった私にとって、例えば、それまでの「2」がここから「1」になってそれは同じことだ、とか、全く意味不明だったのだ。その友達が休み時間に丁寧に図を書いて解説してくれたのに、何回聞いても納得出来ないままとりあえず「まる覚え」的に理解したつもりになってテストに臨んだのを思い出しました(笑)。なので、相対的に捉えられない状態の気持ち、めっちゃワカル。。そうなると、人との関わりによって自分の立ち位置が変わることすら脅威だったりして、このあたりとの関係性も、なんとなくあるようなないようなあるような。。


そいや。音楽の世界には「絶対音感」「相対音感」というものがあって。どちらの方が優れているというものではないけれど、。数学の「1」のように、音楽の「ド」も、組み合わせや関係性によって、その意味合いや重力(?)や質感が場所場所で変わってくる。簡単な例だと、Cdurの「ド」は一度で、Fdurは同じ「ド」でも五度になる。違う言い方だと、Cdurの「ド」は「ド」だけれど、Fdurの「ド」は「ファ」になる。という感じ。。実は私自身、コード弾きなどに触れるまでは機能和声的な感覚あまりなかった気がする。



関係性、関係性、関係性、…で「答え!」になるものが、最初から答えだけ与えられていて、「なぜ?」の部分をすっ飛ばして丸暗記のように答えだけ完璧に覚えたとして、、、その危険性は、どの分野でもなんだか似ているなーなんて思いました。危険?というかその過程が面白いような気が、する。そして「楽譜」という存在は、その「答え」を初めから与えてしまっている危険なもの…では決してなく、答えを導いている何次元もの「関係性」を発見出来るオモシロ書物というか、仕掛けが沢山あるけれど全てがぴたーーっと宇宙的に計算し尽くされてて感動するというか、。。


そう思ってて、では私が何が出来てるかとか、何が出来るかとかいうより、ただ純粋にその辺りに今の自分の興味があるんかな。よくわからないけれど、けれど、自分の出来ることの中で、音楽を学ぶ子供達の「ピアノが、ひけまーす♪」というところに辿り着いた先、もしくは、辿り着く手前どの段階でも楽譜や音楽そのものから、なんか、うーん、ピアノとか楽譜とか通しての教育の中で、レベル関係なく何か、自分が再度学び直して掴み直して、分かり易いカタチで、実際の演奏にとどまらないところに(普通の生活とか…?)、にきちんと還元できる様な教育の、なにか、役に、立てないかなぁ、、今の自分の興味が、、、


みたいなことを考える前に、。まずはふめんどおりの音を暗譜しなければ…泣。
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