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音楽と「ゼロ」の位置。

2007年01月29日 13:18

イチゴの話ばっかり書いてないでたまには音楽の話も書きます。
最近演奏や練習をしていて思うこと。

人間の感覚って面白い。「相手」が全く変わらなくても、自分の意識次第で相手への感じ方が変わってくる。弾いていて調子の良い時は、耳の中で「確信のビジョン」が鳴る。自分で描こうと思っても何も沸かない時は、完全に自分を「ゼロ」の状態に置き、今この瞬間に「音楽」や「神様」が何を描こうとしてるかを受信する。怖がらないで、待つ。フッっと分かる瞬間が来る。すると、音が出る前にまず、迷いのない「イメージ」が脳内や空気中に描かれる。鍵盤を操作する指は、ただそのイメージにリンクしていく感覚で、イメージの実現のために一番自由に使ってもらえる状態にしておく。つまりどんなイメージでも、イメージさえ明確であれば不可能なことはない、という感じ。指の基本トレーニングはもちろん必要だけど、技術はあくまで、イメージを再現できるための技術で、目的ではない。

 感度が冴えてるときは面白い現象がたくさん起こる。
自分の手が自分じゃない感覚。なのに、細かい神経や血管を流れる血の流れまでコントロール出来てしまうかのような感覚。その場でとっさにイメージした音楽が次々叶っていく感覚。やりたいことと求められている事が一致している感覚。触感が冴えてくると、指のわずかな面積の皮膚が鍵盤に触れるたびに、聴覚以外での音楽との繋がりに、全身が喜んでいる気がする。毛穴の換気が良くなる。(?)。すると、受身なだけの音楽でなくて、音楽に対して「もっとこうしたい」「こうしたらもっと喜ぶかな」と、演奏しながらますます音への欲求と感度が高まる。

 しかしここで自分の思い通りにだけ音楽を支配しようとするとうまく行かない。うまく行かないと思ったらまた一回、ゼロになって「相手」「場」「音楽」のゼロの音(すでにココにある音楽)を聴く。相手が何を喜びと感じるかが、見えてくる。それに応える自分。音楽に絶対服従しながらも、ただ受身なのではなくて、どんどん自分から、自分なりでいいから、間違えてもいいから、思うままに愛してみる感覚。自分から働きかけることによって、新たな空気やイマジネーションが見えてくる。さらに怖がらないで感じつくしてみる感覚。




ちいちゃいころ。

うちの母はいつも、「汚い心じゃいいピアノ弾けない!」ということばかり教えてくれた。迷いのない音は、迷いと濁りのない心からしか産まれないんだ、と知った。でも生きてれば、音楽の世界以外にも生活はあって、迷いや濁りだらけだったりもした。

今も、迷いや濁りだらけだ。

でも、それでも、毎日歯を磨いたり、毎日お風呂に入るみたいに、人間って多分、いつどのタイミングでも、自分をゼロに戻す事って、赦されているのかな。赦されてなかったら、とっくに私、ピアノなんてとても触れることできないなぁと思った。自分にOKを出すのは、他人に求めることじゃなくて、自分自身で「気付く」ことなのかな。

自分で自分にOK出すって難しいや。やましい事ややりきってない思いや、過去への執着、未来への思い煩い、タラントを生かし切れてない後ろめたさがあるうちは、OKが出せない。音も濁る。難しいや。けどなんか、最近、もうなんか、やなんだ。肩肘張って生きるか死ぬかでふんがーっってガンバルって意味じゃなくて、プラスにもマイナスにも過去にも未来にもぶれてない、ゼロの自分でシンプルに頑張りたいって、すごーぉく、思うようになった。毎日ぶれちゃうけど、気付いた時でいいから、一回一回ゼロに戻したい。動かないでなんもしないでただゼロに停滞するんじゃなくて、いろんなことに刺激受けたり学ばされたり感動したりするなかで、すごーくひろーくてあったかーい空間の真ん中の芯のゼロに凛と立ってアンテナ立てていたい感覚。うーんわけわかめ。本を読まない子の文章だ。ごん。




本。活字が苦手、といえば。
楽譜。おたまじゃくしも苦手な子でした。昔から。

やっと最近楽譜をちゃんと見るのが楽しぃ。

(○´∀`)ノ゙★ (オィ

今まで目をそらしてきた音に、ごめんなさいをした。

そうしてみて初めて、楽譜に無い音も、聴こえてくる気がしました。

も一度、出会いからハジメマス。
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